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循環者[サーキュローグ]の姿を可視化する。  私たち、資源問題に関するリサーチ集団ATOWは、そんな標語を掲げています。

**水という資源の循環を大きなスケールで、かつ分析的に捉えようとするとき、まず最初に参照すべき学問分野は「水文学」**でしょう。水文学は主に自然界の水循環を研究対象としており、狭義には地球科学の一部門とみなされていますが、水インフラの開発や水資源の保全、あるいは水害への対策など、多岐にわたる実務とも密接に繋がっています。

地球上の水の蒸発や降雨、河川の流れといった水の振る舞いを知り、その知見を活かして堤防による洪水対策やダムによる渇水対策のような工学的な問題解決を進める──というのが、従来の水文学の考え方でした。その前提には、人間が自然界を客観的に観察し、思い描く“シナリオ”に沿って自然界を操作するという発想があったといえるでしょう。

しかし、今回ゲストにお招きした名古屋大学の中村晋一郎先生によれば、そんな発想は今では相対化され、水文学の枠組みが徐々に変わりつつあるそうなのです。中村先生が専門とする「社会水文学」とは何か。それはどのような視点を与えてくれるのか。お話を伺ったうえで、ATOWの今後の議論の方向性を模索しました。

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人間と水の相互作用を扱う「社会水文学」

「現実の歴史を見てみれば、当初のシナリオ通りに洪水対策や渇水対策が進んだことなんて、今まで一度もないわけですよね。なぜなら、人間が変われば水システムも変わり、水システムが変われば人間も変わるという、双方向のフィードバックが存在するからです」

そう語る中村晋一郎先生は、水文学の新たな潮流である「社会水文学」の発展を国内外でリードする研究者の一人です。

「1964年ごろにUNESCOが水文学を定義した時点で、そこには『人間活動に対する地球の水の反応も含めて研究する』という双方向性を織り込んだ考え方が示されていたんです。しかしその後、あらゆる分野で学問の個別化・細分化が進む中で、水文学は自然科学のみに偏った分野になってしまった。社会水文学のコンセプトは、人間と水システムの相互作用という当たり前の観点を改めて考慮しよう、ということなんです」

21世紀に入り、人類の活動が地球に対して地質学的な規模で影響を与えているという「人新世」の考え方も広まってきました。人間と自然のシステムが不可分だという認識が強まる中、スリランカ出身の米イリノイ大学の水文学者Murugesu Sivapalanが2011年に発表した論文などに端を発して、社会水文学という分野は今まさに立ち上がってきているそうです。

「世界的には数百人規模の研究者がいますが、日本ではまだまだこれからですね。注目は大きいですが、学際的な分野だからこその難しさがあります」

写真:吉屋亮(以下注記なければ同様)

写真:吉屋亮(以下注記なければ同様)

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中村 晋一郎(名古屋大学 大学院工学研究科 土木工学専攻 社会基盤機能学 准教授) 水の視点から、国内外の都市や地域をフィールドに持続可能な国土形成に関する教育・研究を行う。東京大学大学院 工学系研究科 修士課程修了後、民間建設コンサルタント、東京大学 総括プロジェクト機構「水の知」(サントリー)総括寄付講座 特任助教、名古屋大学大学院 工学研究科 専任講師などを経て、2018年11月より現職。

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社会水文学の研究は、具体的にはどのようなステップを辿るのでしょうか。中村先生によれば、「現実の歴史からナラティブ(物語)を構成すること」が出発点になるそうです。

たとえば、世界中でよく見られる「堤防効果」という現象があります。河川の氾濫を抑えるために堤防を建設すると、洪水への危機感は薄れ、従来は多くの人が住まなかった川沿いの地域でも開発が進んで経済は発展します。しかし、まれに想定を上回る規模の氾濫が起こり堤防が決壊すると、以前よりも大きな洪水被害が発生。社会はその対策としてさらに高い堤防を築き、再び危機感は薄れ、次なる想定外の洪水においてはさらに大きな被害を受ける──という“いたちごっこ”の構造があるのです。東京やウィーン(下図参照)など、世界の主要都市の発展プロセスもこうした問題を内包しているといえます。

ウィーン市街とドナウ川の開発の変遷。1830年頃(a)、1930年頃(b)、2015年頃(c)
Barendrecht et al.(2017)より

ウィーン市街とドナウ川の開発の変遷。1830年頃(a)、1930年頃(b)、2015年頃(c) Barendrecht et al.(2017)より

また、同様のループ構造を持つ水問題として、「貯水池効果」や「供給-需要サイクル」という現象もしばしば指摘されています。渇水に備えてダムを開発すると水不足への危機感は薄れ、水供給の余裕が増えた分だけ普段からの水使用量(水需要)も増加します。社会はより多くの水資源に依存するようになり、いざ想定以上の少雨に見舞われた際にはより深刻な渇水被害を受けることになる──というものです。

このように、治水や水供給、資源保護などの歴史においては、問題解決のために取った手段がかえって問題を悪化させてしまうという現象が繰り返し発生してきました。そんな歴史から教訓を学び、学問的に取り扱うための概念を提出するのが、社会水文学の役割の一つだそうです。