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循環者[サーキュローグ]の姿を可視化する。  私たち、資源問題に関するリサーチ集団ATOWは、そんな標語を掲げています。

前回の記事では、循環の最小単位としての住宅──最小限住宅という概念を取り上げ、その先駆として鴨長明による《方丈庵》のあり方を分析しました。そこには、暮らしぶりや人間関係を最小限にまで切り詰めたことで、かえって外界の資源や生命、他者に対する感覚が鋭くなり、「不足が贅沢に反転する」という感性を見出すことができました。

鴨長明の晩年の暮らしは方丈庵の中でほぼ完結しており、小屋は「かまど」や「いろり」といった火を扱う場所を備えていました。しかし今回の紹介する2つの最小限住宅には、煮炊きをして湯を沸かす「火」の要素すらありません。あるのはトイレやベッド、机・椅子などの一時滞在のための設えと、屋外すぐそばに広がる大きな水域──海や沼という自然環境です。

住宅というより**「休暇小屋」と呼ぶべき、単体では明らかに要素が不足した家**。しかしこれらは、鴨長明のような「世捨て人」ではなく、都市で働く建築家によって、ある種の「逃避先」としてデザインされたものでした。今回はル・コルビュジエと立原道造による2つの設計を取り上げ、そこから「開かれた小屋」のあり方を読み取っていきます。

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ル・コルビュジエの休暇小屋

20世紀の建築史を築き上げた近代建築の巨匠の一人、ル・コルビュジエ[1887〜1965]。

彼が60代で自分自身のために設計・建設した《カップマルタンの休暇小屋》(1952年完成)は、方丈庵より一回り大きい程度の、空間です。一辺3.7m程度の正方形の平面に、エントランスとトイレのために70cm程度の細長い空間が付け加えられたような構成を取っています。

《カップマルタンの休暇小屋》平面図

《カップマルタンの休暇小屋》平面図

現代人がこの建物を「住宅」として見たとき、足りないと感じるのは浴室と台所でしょう。しかしこの建物にはどちらも不要だとル・コルビュジエは考えたようです。左側の出入口は「ヒトデ軒」というレストランに直結しており、食事については友人でもある店主に頼ることができたからです。この小屋はレストランの側面に張り付き、いわば「寄生」するかたちで存在しています。

《カップマルタンの休暇小屋》外観。奥に見えるのがレストラン「ヒトデ軒」
Public Domain via Wikimedia Commons

《カップマルタンの休暇小屋》外観。奥に見えるのがレストラン「ヒトデ軒」 Public Domain via Wikimedia Commons

入浴については屋外の簡易シャワーで済ませていたようですが、ロケーションに救われていた部分も大きいでしょう。この小屋は地中海に臨む南フランスのリゾート地、ロクブリュヌ=カップ=マルタンに建てられたもので、小屋を出て坂を下ればすぐに海水浴に出ることができたのです。彼は晩年の十数年にわたり、都市の喧騒からのリトリート(撤退・避難)を求めてこの小屋に通い続けました。

空間が切り詰められ、様々な機能を外部に依存することになる最小限住宅においては、内外の境界は極めて希薄なものになります。建物の役割は、寝起きする人間と、外部の光や風の関係を調整することに集約されるため、いわば「開口部そのものの建築化」といった様相を呈することになるのです。ル・コルビュジエもやはり、窓の配置や大きさに様々な工夫を凝らしました。

《カップマルタンの休暇小屋》の廊下は比較的長く取られており、隣のレストランとの緩衝空間や最小限空間への導入部となっています。突き当たりにコート掛けがあり、その背後にはトイレ。右に折れ曲がると約3.7m四方のワンルームが広がっています。左手がベッド空間。正面には象徴的に十字形が浮かび上がる壁と、独立した柱状の収納にシンクが付加されており、右手には本棚とテーブル、クローゼットが配置されています。

《カップマルタンの休暇小屋》展開図
藤原成暁・八代克彦『図解 世界遺産ル・コルビュジエの小屋ができるまで』(エクスナレッジ、2023年)参照

《カップマルタンの休暇小屋》展開図 藤原成暁・八代克彦『図解 世界遺産ル・コルビュジエの小屋ができるまで』(エクスナレッジ、2023年)参照

エントランスおよびヒトデ軒へのアプローチを除くと、窓は全部で3種類、5つ穿たれています。