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循環者[サーキュローグ]の姿を可視化する。  私たち、資源問題に関するリサーチ集団ATOWは、そんな標語を掲げています。

この半年ほど、私たちは「循環の最小単位としての住宅」さらには「住宅の最小単位としての“最小限住宅”」という切り口から、人々の生活を取り巻く物質的・社会的な循環について考察しようと試みてきました。過去4回の記事において、おおむね時代の流れに沿うかたちでさまざまな最小限住宅を紹介し、それらの事例が持つ背景や創意工夫について読み解いてきました。

これまでに取り上げた事例は、いずれも当時の大多数の住宅とは異なる意図のもとに設計・建設された、特殊な住宅でした。しかし、ただ奇抜なデザインを志向したものではありません。むしろ余計な要素を削ぎ落とし、ある条件のもとではそれが最適な住まいだといえるような、一般性・標準性を目指した住宅群であったといえます。だからこそ、過去の最小限住宅は各時代の状況を反映するだけでなく、現代の私たちの生活を捉え直すための示唆や予見性を含んでいます。

今回の記事では最小限住宅というコンセプトの現代的意味を5つのキーワードとして暫定的にまとめ、今後の考察を続けるための手がかり・足がかりとしたいと思います。

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1. 都市から離れてたつ

鴨長明の《方丈庵》ル・コルビュジエの《カップマルタン》、それから立原道造の《ヒヤシンスハウス》。これらはいずれも、都市から離れ、都市を外から眺める、望遠鏡のような役割を持った住宅であったといえます。

古来、水などの資源が豊富な場所により多くの人々が住み着き、そこにさらに人口や資源や情報が集中することで共同体が発展していったと考えるならば、住宅や都市は「集まるための器」としてつくられてきたはずです。

しかし、あえて共同体から距離を取り、自らの生活を観察するための道具として住宅をつくる場合、それは大きな容量を持った「器」である必要はありません。人や資源や情報を集めて溜め込むのではなく、それらの流れに窓を開いて接する。極限まで小さく切り詰められた自然の中の小屋は「器」ではなく、「水路」のように循環の一部となるのかもしれません。

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以上4枚、立原道造《ヒアシンスハウス》

以上4枚、立原道造《ヒアシンスハウス》

2. 小さいという快楽

吉村順三の《箱根仙石原の家》増沢洵の《最小限住居》、それからアメリカ西海岸における《ケーススタディハウス》。これらはいずれも、小さなサイズの中で空間としての豊かさを実現するために、内部環境と外部環境の繋がりを重視した住宅でした。

床面積の大きないわゆる豪邸が裕福さや贅沢の象徴であるのに対し、小さな家の中で世界の広がりを見出す最小限住宅は、「ラグジュアリー」の感性を象徴しているように思えます。現代的な意味でのラグジュアリーは、単なる贅沢とは次元の異なる、精神的な刺激や満足感を含んだ快楽として再定義されつつあります。

住宅の内部を小さく留め、外部との境界を薄く、軽いものにすることで、外部を巻き込んだより大きな空間と生活を手に入れる。そんな手法は、いわば最小限住宅の「コストパフォーマンス」の高さを示唆しています。

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以上6枚、ピエール・コーニッグ《スタール邸》

以上6枚、ピエール・コーニッグ《スタール邸》